苦難に負けない力を!車椅子バスケットボール選手から学ぶ
去る10月17日、車椅子バスケの日本男子チームがリオのパラリンピック出場を決めました。11大会連続12回目の出場です。
車椅子バスケを実際に見たことがある人はご存知のように、かなり激しいスポーツです。障害レベルの異なる選手たちが、不公平にならないようにルールや規定も細かく決まっていて、高度なテクニックが必要でもあります。
こんなに激しいスポーツをしている人たちはいったいどんな人生を送ってこられたのだろうか、困難を越えて今の姿があるだろうが心が折れない強さはどこから生まれているのだろうか・・・。そいうった疑問から今回の夢授業の企画は始まりました。
地元神戸のチーム・清水MSTの方々にご協力いただき、川西選手に講演&実技授業をお願いしました。競技用車椅子は神戸市障害者スポーツ振興会からお借りし、バスケットボールコートもスポーツが活動しているみなとのもり公園を使用させてもらいました。
11月10日(火)、2回の事前学習を終えた生徒達は真剣な表情で川西選手の授業に臨みました。
仕事中の事故で半身が動かなくなったこと、時間がたてば足が動くようになると思っていたこと、それが叶わないと判った時の絶望。おそらく私たちの想像を絶するほどの苦しみの中でもがいていた川西選手の気持ちを動かしたのは「人とのつながり」でした。思うように動けない自分に苛立ちと焦りを感じながらも、小さな目標を立てることで少しずつ車椅子生活に慣れようと努力されました。しかし、これまでの生活とは全くことなる日常に直面した川西選手は、依然として未来への目標や希望が見つからず、死んだような目をしていた、と当時を振り返って言っておられます。ある時、病院で知り合った人物から車椅子バスケットの存在を知り、川西選手の気持ちは大きく動きます。それまでバスケットは学校の授業くらいしかしたことがなかったのに、車椅子バスケットが川西選手の大きな目標を与えてくれたのです。
生徒から、「なぜ、そのような状況でも心がおれないのですか?」という質問に、「当然、心が折れることのほうが多かった」と笑顔で答えてくださった川西選手。でも、小さな目標を一つひとつクリアしていくことで自分に自信を持ち、次へのステップになる、と断言しました。つらい経験も今の自分をつくっている、これからの自分を今の自分がつくりだす、という当たり前のことを川西選手から教わりました。
実技では、全員が競技用車椅子に乗り、ゲームを行いました。最初は危なっかしい手つきで車椅子を操作していた生徒たちも、2セット目には上手に操り、シュートを打てるようになっていました。
川西選手によると、どんなことにも興味を持って好奇心を忘れないことが人生の波を乗り越える秘訣ということです。