クリニック勤務
2017年夏から1年間、地元である富山県魚津市の「魚津小町」として全国で魚津市の魅力をPRする特別な経験をさせてもらいました。きっかけは、職場であるクリニックの理事長の推薦でした。
初めは「私そういうキャラじゃないんで」と断ったんです。でも「せっかくのチャンスを自分からつぶしてはダメ。人生なんでも経験だ」と思い直しました。そういう気持ちになれたのは、第一学院で過ごした時間、出会えた人がいたからですね。
一番楽しかったのは、東京ドームで行われた「ふるさと祭り」で魚津伝統のお祭り「たてもん」をPRしたことです。魚津小町を通して多くの人たちと出会い、とても可愛がってもらいました。地元を好きになるってこんなに楽しいんだと、PRする側の私が地元のおもしろさを再発見することができました。
中学卒業後、一度全日制の県立高校へ進学したんですが、馴染めずに半年ほどで辞めてしまいました。その経験から、みんな嫌なことがあっても頑張っているのに私だけ逃げてしまったと自分を責めるようになったんです。
でも、心のどこかでいつも大学進学を希望していました。小さい頃からの夢である保育士になりたいと思っていたからです。定時制の高校を受けたんですが落ちてしまい、どうしようか悩む日々でした。
そんな時、母の知り合いのお子さんが第一学院に通っていると聞き、初めて第一学院のことを知りました。母のアドバイスもあり、もう第一学院しか道はないと入学を決めました。
第一学院に入ってからもなかなか毎日通うことができず、担任の先生が家までわざわざ来てくれたのに拒絶したこともありました。
それなのに、先生はいつも人情深く接してくれました。「出会ったばかりの私に、なんでこんなにも無償の愛を注いでくれるの」と不思議に思うほどでした。家族みたいに温かく親身になってくれたことが、とても嬉しかったですね。先生に出会っていなかったら今の自分はないって思います。
それに、第一学院での友達とは今も仲良しです。お互いにいろんな悩みとか辛さを抱えながらも、それを共有し合えたことや一緒に前進できたことが嬉しくて、今でもずっと心の支えです。人との繋がりが大事だということを学びましたね。
高校認定を取り東京の短大へ進学し、保育士の資格を取りました。
東京で念願の保育士として働き始めてからは、毎日が充実していました。でも、東京での心の支えだった姉と別々に暮らし始めてから精神的に辛くなり、富山への帰省を決めました。また逃げるのかと悩んだ時期もありましたが、第一学院での経験があったからこそ辞めるのもひとつの道、人生の選択肢と思えて心が軽くなりました。家族や第一学院の先生、友達など、周りの人に支えられていると実感できたから決断できたのだと思います。辛く傷ついた経験を通して、人の気持ちに寄り添い手を差し伸べられるようになり、何より自分を大事にできるようになりました。
いつもまわり道ばかりですが、辞めたことも含めて全てが今の自分に必要だったと気付きました。
今働いているクリニックでは、受付の仕事をしています。帰省後、保育士の仕事を探したんですが思うような求人がなかったんです。でも、人との繋がりの大切さを知ったことで、人と接する仕事がしたいなと思い、現在の仕事に就きました。
クリニックの仕事は、私にすごく合っていて楽しく働いています。通院されている患者さんや併設しているジム通いの方などよく話をするうちに、知り合いっていうくらいに仲良くなっちゃって。今後は、もっと医療の知識をつけ、患者さんの信頼を得られるような仕事ができるようになりたいと思っています。でも、もしチャンスがあれば、また保育士に挑戦したいとも密かに思っています。
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